SHE'D LIKE TO DIE

あまくてにがい味ってなによ

顕示欲と承認欲に占拠された脳

 

 

興の味覚障害。他人への興味なんてほとんどない。興味を示したふりをするのは自己をアピールするため。そうでもしないと誰も他人に興味なんて持ちやしないから。私がそうだからわかるの。自主性のない媒体に誰も興味なんてないの。でもそんなものすら飽きちゃって。ああ、もう、誰も私のことなんて知らなくていいのかもなんて思ったりして。だってどうせ死ぬのよ。私が死んだって気づきもしない人間ばかりに囲まれて、存在を認められた気になって、そんで、どうすんの?

 

私に最近興味をもってた彼だって、私の本名も住所も電話番号すら知らないのよ。明日私が死んだって彼は気づきもせずいつもと変わらない日を過ごすの。「あいたい」の気持ちも薄れていって、代わりの女の子で満足して、死ぬ前に思い出す女の子はきっと私じゃないのよ。そんな彼に私までもが興味を示す必要があったのかしら。

 

私はほんとうの愛を知らないから、相互に求めあう関係じゃないと不安になってしまうから、中途半端な愛で満足してしまう。私が応えられるだけの愛を与えてくれるひと。私の許容範囲内の愛しか求めてこないひと。だから4年も、この安全地帯から打開できないのよ。こんなものが『愛』じゃないなんて、とっくの昔に気付いてるよ、ばか。

 

私は結局「知りたい」わけじゃなかった。「知ってほしい」だけだった。でも明け透けの顕示欲を見透かされたくなかったから「知りたい」姿勢をとった。でも知ってほしいことは伝えられなくて、知らなくていいことばかりを知ってしまった。そんなこと知りたくなかった。聞きたくなかった。誰でもよかった、なんて言葉。知らなかったら些細なことでもスペシャルを感じられたわ。

 

もうずっとずっとお花畑で暮らしていたかったの。しあわせのうそにほんとうを隠して笑っていたかった。あの日の言葉がうそだとわかった今でも、あの日に戻りたくて仕方ない。それくらいダークな世界がにがてなの。グレーゾーンで生きるのはもういやなの。

 

「あいしてる」がききたいや。なんとなく、そういう気分なの。きもちわるい言葉できもちよくなりたい。無様な人間でも生きた証がほしい。誰かの脳裏に焼き付きたい。もっともっと満たされたい。わたしは死ぬまで承認欲に犯されるの。

 

 

さみしいにんげん、まずいにんじん。